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普段着の思い、いろいろと

   
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町田市郊外の樹林墓地の寺務社が完成しました。敷地面積約5,300㎡の斜面地に建つ小さな管理棟(寺院)です。
 構造は、敷地の造成レベルに合わせた断面計画で、地下1階(接地階)はRC造、地上2層は木造としました。


 

 
 


 今回の設計を機に、樹木葬という埋葬のやり方があることを知りました。墓石を設けず、遺骨を土中に埋めて樹木を墓標とする葬法になります。
 下の2枚は、既存の樹林墓地の写真です。今回の樹林墓地もこれから樹木が育って、建物が風景の中に埋もれることを願っています。
 
 さて、自分のお墓はどうしましょう。

 

  
 
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久しぶりに埼玉県立美術館に行ってきました。
戦後日本住宅伝説 〈挑発する家・内省する家〉
1950年代から1970年代までの、16人の建築家の16作品を紹介する展覧会で、建築家が「住まい」という私的な空間をどうとらえ、どう表現しようとしたかを探るという企画です。
 
展示は、写真、模型、図面、映像で構成されています。
当時の手描きの図面の美しさに改めて感動。

塔の家(東孝光)では、原寸大に拡大した平面図が床に敷かれ、都市に住むことを選んだ決意を再認識。

スカイハウス(菊竹清訓)、中銀カプセルタワー(黒川紀章)では、メタボリズムは何だったのかを暫し、、、
・カーンのサーブドスペースとサーバントスペースの概念との共通点。
・新陳代謝、取り換えられるものと、取り換えられないものとに分けることだけでは、何も起こらなかった。取り換えられないものって何?
・建築に寿命があるなんて思いもよらないヨーロッパ人と違い、日本人にはスラップアンドビルドにしか繋がらなかった。

白井晟一は、やっぱりどう理解してよいのか?

下の写真は、埼玉県立美術館の建つ北浦和公園の端っこに置いてあるカプセル。
カプセルタワー1階にモデルルームとして展示してあったもので、中銀から県立美術館に寄贈されたとのこと。
 
オープンリールデッキがビルトインされている!オプションだよね?
元倉眞琴さんから安藤忠雄さんへの公開書簡を紹介します。
(元倉眞琴さんのfacebook にアップされています)
 (画像は書簡には載っていません)

 拝啓、安藤忠雄 様

 同じ建築家の知人として、提言を申し上げます。

 貴方が独学で建築を学ぶなど人一倍の努力を重ね、これまで多くの優れた建築を創り出してきたことに対して、私は常に深い敬意を寄せてきました。
 貴方の姿勢はいつも弱者である名もない人たちへの味方をするものでした。神戸淡路大震災での行動や、東日本大震災での行動はそのことを良く表しています。そして自然を守り、失われた自然を取り戻そうとする運動は多くの人の共感を得ています。
 貴方は建築をデザインするとき、「その環境に一番適した建築の在り方は何か」というテーマを追求し続けてきました。六甲の集合住宅での地形と建築のあり方、淡路島での植物のための地形の構築、地中美術館での景観への配慮、表参道でのケヤキの並木を配慮した建築の高さへの配慮など、植物や地形などの自然や景観に対する優しい関わりこそが安藤建築である、ということができるでしょう。

 地球環境の危機が叫ばれている現在、世界は貴方という人と貴方のつくる建築が示している環境への優しさを、必要としています。そして貴方がこれまで探求し続けてきたものは、これから向かうべき私たち社会の象徴としての役割を担っています。安藤さん、私は今世界中の人が貴方の「何に」高い評価を与えているのか、そのことを改めて認識して欲しいと思います。

 ここで改めて「新国立競技場」の問題を考えてみましょう。
 どう考えてもこのプロジェクトはこれまで築き上げて来た貴方の思想、貴方の建築、そして貴方の神話(ストーリー)にそぐわないものです。
 樹々を切り倒して神宮外苑を荒らしてしまうことは、ほんの少しの樹木でも守ろうとしてきた貴方の自然観に合わないはずです。
 あまりにも巨大な構築物は、貴方のいつもの景観に配慮する態度とも合わないはずです。表参道での提案とどのように辻褄を合わせるのでしょうか。
 あるいはこの競技場案が景観的にスケールアウトのものではないと思っているとしたら、貴方のスケール感(音痴)はプロである建築家としては恥ずかしいと思います。
 貴方が常に力を貸してきた弱者である名もない人たちに対して、今回は味方にはならないのはどうしてなのでしょうか。

 私はここで貴方が勇気を持って行動してくれるものと信じます。
そうすることによって世界を含めた私たちが、これまで信じてきた貴方に対する評価を持ち続けることができるからです。
 私は貴方に以下のことをしてくださるよう希望します。
 今回の新国立競技場の案を神宮外苑につくることを一度凍結してください。そして改めて、英知溢れるすばらしい改修案のプロジェクトに移行するか、あるいは、湾岸地域にザハ案を建設するかの検討をしてください。
 確か前回貴方が提案した湾岸エリアにメインスタジアムを置く「みどりと風の道の提案」は、東京の自然環境を積極的に改善するという、貴方の思想そのものを良く表した優れた提案でした。今からそれをやりませんか。

 確かに今では国の体制の一部を担っている貴方にとって、今から決定を覆すことはそう簡単なことではないかもしれません。ただし、勇気を持ってこれが実行されれば、貴方の思想や貴方の建築の一貫性は保たれ、環境と建築の神話はさらに強化されることになります。
 今の計画を転換することによる多くのハードルは私たち建築の仲間や、市民の仲間、そして世論の力で乗り越えていくことができます。その努力は惜しまない覚悟です。
 もし新たな国立競技場に向かって進むことができるのなら、そのとき東京オリンピックは、みんなが心を一つにした本当のお祭りになるでしょう。それがオリンピックの原点なのではないでしょうか。

 勇気を持って、舵を取り直してください。                               
                                   敬具
                        平成26年6月9日
                            元倉 眞琴

さて、皆さんのご意見は。
羽生駅から徒歩圏の住宅地での計画です。
敷地は、約1000㎡、既設建物が3棟建っています。

既存の木造平屋の住宅はゲストハウスに、鉄骨造の倉庫は車庫にリフォーム。母屋は木造2階建てで新築の案です。
これだけ広い敷地の場合特に、敷地全体を建築として考えることが大切です。残ったところが庭ではなく。
道路側のパブリック性の高い庭と、南側のプライベートな庭の二つの性格の違う外部空間に分けて計画しました。
 
 
 
下の模型写真は、すべて新築で建てなおす案です。制約条件が少なくなればなるほど難しい。 これも外部空間をどう分節化し、内部とつなげるかを考えました。



4月12日 開東閣にて、高校同期の友人が企画してくれた見学昼食会。




 開東閣は港区高輪にある旧岩崎家高輪別邸で、明治41年完成、昭和39年復旧、現在は三菱グループの迎賓施設。
 昭和20年空襲で外壁の一部を残してほぼ消失、39年の復旧では外観の原形は残したが、内部については住まいからの用途変更もあり当時の姿をとどめてはいないよう。ビニールクロスの不燃認定シールを見つけてしまうのは悲しい性か。

 以下、建築家ジョサイア・コンドルについて、藤森照信さんの言葉から、
「彼らは国家と時代を建築で飾るのが自分たちの任務と覚悟していた」
つまり、パトロンである明治国家のための記念碑性が求められ、個性や創造性といったものは二の次であったと思われます。
 また、24才の若さで異国からやってきたコンドルにとって、いったい何を参照してよいかも分らなかったとも想像できます。ヨーロッパのいろんな様式がばらばらと見うけられるのも仕方ないか、、、

 高輪の一等地に道路から建物が見えない広大な敷地(11,200坪らしい)、まずは緑を残してもらっていることに感謝。

  
プロフィール
HN:
Takashi Yashima
性別:
男性
職業:
建築家
趣味:
バンド、フットサル、、、
自己紹介:
バンドやってます。
フットサル、テニス、野球、、、やるのもみるのも好きです。
何もしないことが苦手です。
さいたま市で設計事務所をやってます。
E-mail studio@8888ma.net
P R
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