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新国立競技場の設計案の混迷について、ついに磯崎さんが発言しました。全文紹介します。
(出典:architecturephoto.net)
新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて 磯崎 新
一昨年、国際コンペによって選ばれたザハ・ハディド案は、21世紀の都市的施設として、運動競技のスピード感を呼び起こす、優れたイメージをあらわすデザインであると感じ、東京都民のひとりとして支持してまいりました。
ところが、先日から開催されている「ザハ・ハディド」展(東京オペラシティアートギャラリー)で詳細にわたり発表されている修正案を拝見し、当初のダイナミズムが失せ、まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿に、いたく失望いたしました。このままで実現したりすれば、将来の東京は巨大な「粗大ゴミ」を抱え込むこと間違いなく、暗澹たる気分になっております。
コンペの選考発表以後、さまざまな立場からの意見が発表され、さらに実現のためのアセスメント、プログラムや予算の見直しなどがなされたあげくに、この修正案が作成されたと伝え聞いております。環境への配慮、過重なプログラムの再編、適切な予算への整合など、重要な施設がつくりだされる過程でいかなる場合でもたどらねばならない道筋です。とりわけプロフェッショナルな建築家であれば当然の仕事です。にもかかわらず、修正案は当初案への賛否いずれの側の人達もが満足できない結果になりつつある。すべての関係者がオリンピックの歴史に誇れるようなデザインを求めてきたことを私は疑っていません。ところが間違ってしまった。
捻れが起こってしまったのです。
私は建築家としてこれまで多くの国際コンペに審査員や応募者として関わってきました。1992年第25回夏季オリンピック(バルセロナ)の「パラウ・サン・ジョルディ」、2006年第20回冬季オリンピック(トリノ)の「パラスポーツ・オリンピコ(パライソザキ)」などの主要競技施設の設計者に国際コンペを通じて選ばれ、その建設過程を経験した建築家として、現在の新国立競技場デザインの取り扱われ方を憂慮しているひとりです。
巷には、さまざまな意見が流れております。
一、国際コンペの正統な手続きによってザハ・ハディド案が選ばれたことをあくまで尊重して下さい。
二、その当初案が神宮外苑の環境に適合しないという有識者、建築家、市民の批判を正当な見解として承認して下さい。
三、国際コンペの与件としてのプログラムが過重であったためにさまざまな期待がふくれあがり、適切な予算をはるかに超えるデザインになった事態を冷静に反省して下さい。
四、新国立競技場をオリンピック誘致の「目玉」に位置づけたキャンペーンがなされましたが、このイメージに国際コンペの手続きとともにメディア上では国際公約の役割をさせていた事実を消し去らないで下さい。
ここに述べた事態は私見ではなく、メディアに流れている見解を整理したに過ぎません。相互に矛盾しています。だが現在のまま進行してしまうと、この議論において指導的な役割をしている人々全員が後世に恥をさらすことになります。国際的に類似の事例を経験してきた建築家のひとりとして、次のように考えます。
A、サスティナブルな競技場として現在地で更新するが、一過性のイヴェントであるオリンピック開会式にはつかわない。オリンピック競技場の基準にそったフィールドに整備すると同時にポスト・オリンピックに運用されると思われる諸施設を組み込む。群衆の流れなど周辺環境に配慮し、景観形成に細心の注意をはらう。
B、主競技用のフィールドで開会式を打ちあげた、かつてヒットラーの演出したベルリン大会以来のフォーマットを超えるメディアの時代のライブ性(10万人程度でなく、同時に10億人がテレビやインターネットを見る)をいかす舞台として、二重橋前広場で2020年の東京オリンピック開会式を挙行する。
江戸城の堀、石垣、櫓を背景にして、競技場フィールドより広い舞台を前に立体的な桟敷を設ける。約12万人収容可能。50に分解できる。終了後、全国各県にオリンピック記念公園(競技場)をつくり分散移設。空中を飛翔するカメラをはじめ、あらゆる角度からの映像を全世界に流す。
C、国際コンペの審査結果を尊重する。この段階の決定には一般的に二つの解釈がある。①、「案」を選ぶ。そのままの姿で実施する。(建築家は無名で、案の物理的な姿を評価する)②、その案を作成した「建築家」を選ぶ。プログラムに変更があるとき、その建築家が条件に適合する新しい案の作成者になる。(建築家の潜在的能力が評価される)
新国立競技場案が迷走している理由は、①、「案」をえらぶ、ことに固執してしまって、自縄自縛に陥ったためだと思われます。諸条件が②であるべきなのは当然の流れなのに、何故かザハ・ハディドという署名入りの案を選んだと関係者が思い込んでしまった。国際コンペの通念に無知、無理解、無責任な判定が、すべての流れを捻らせたのです。
私のかかわったオリンピック施設の場合は常に②のケースでした。私は新しい条件に対応して、更に新しいアイディアを加えて、実施設計から管理までつき合うことができました。プロフェッショナルな建築家であれば、状況の変化に柔軟に対応できねばなりません。今回の当選者ザハ・ハディドは、30年前に私はその才能を発見して、その後いくつかの共同の仕事をやった建築家で、彼女のプロフェッショナルな能力は抜きんでており、どんな困難な時でも自ら主体的に参画していれば、自らの署名をそのデザインに残しうる人です。修正案にはその片鱗もみえない。歴史的な誤謬がおかされた、と言わざるを得ません。
今からでも遅くない。当選決定(国際公約です)の時点に立ち戻り、二年間の賛否両論はプログラムの検討スタディだったと考え、ザハ・ハディドにその条件を受けてあらためてデザインを依頼する。彼女はそのような対応のできる建築家です。
そのうえで、最終選考の際、対抗案として比較されたと伝えられる、SANAA案の作成者妹島和世にプログラムに含意されていたオリンピック開会式場のデザインを依頼する。今後の開会式場の扱いは、2020年東京大会をプロモーションしてきた方々の責任です。
アリーナ型の昔ながらのサイズに閉じ込めるのではなく、東京を超えて日本の中心である光景を背景に世界に向けてイヴェントを発信する、21世紀型オリンピックの新しいフォーマットを、ここ東京でつくりあげることになります。
これまで、槇文彦さんや元倉眞琴さんなどから、案に対する異議が発言されたきましたが、今回の磯崎さんの言説は、コンペ審査後のことの進め方に対するものです。いずれにしても、審査委員長を務めた安藤さん、責任ある立場として回答をすべきではないでしょうか。
・高柳建築設計の琴寄工房にて、レオナルド・ダ・ヴィンチの考案した「レオナルドの橋」の構造フレーム見学。
「釘を使わない、分解して運べる」すぐれもので、ダ・ヴィンチ・グリッドの一つの応用例ともいわれています。構造から考える建築の発想の面白さ、大切さを改めて考えさせられます。
あいにくの雨と思ったら。雨上がりにきれいな虹が。
画像ではよく分かりませんが、虹が二重になっています。
・水を蓄熱体に使った床下暖房について(講師:イゼナ 前田氏)。
水の対流を利用した蓄熱方法の立ち上がりの早さ、高効率を確認。
もう少し安くなればよいのですが。
http://www.izena.co.jp/
高柳建築設計事務所に移動して
・高資産価値住宅について(講師:高資産価値住宅評議会)
・超断熱、スエーデン建材について(講師:モーラ 金井田氏)
省エネ、エコ、もちろん賛成です。断熱性能をどこまで求めるのか、自然と仲良く暮らすことの気持ち良さと両方満足できるように考えるのが当たり前なのだが、、、
http://mala-gruppen.com/index.html
建築家は社会の役にたっているのかと聞かれて、はい、と言えるかどうか。自分は何ができるのかを考えることがあります。
医者や弁護士と違い、困ったことがあって建築士を訪ねてくる人は少ない。また、画家、作家、音楽家のように、人々の心を癒し明日への希望を与えられるようなものをつくっているかといわれると、これもあやしい。
考えるよりは行動しようということで、応急危険度判定士の講習会に参加しました。地震により被災した建築物について、その後の余震等による倒壊等の危険性を判定し、被災後の二次災害を防止することを目的にした制度で、登録された建築士は、地方公共団体からの要請があれば、ボランティアとして活動します。
目にみえるかたちで社会に貢献する行動になるのですが、出動要請がないほうが望ましいのは当然です。
戦後日本住宅伝説 〈挑発する家・内省する家〉
1950年代から1970年代までの、16人の建築家の16作品を紹介する展覧会で、建築家が「住まい」という私的な空間をどうとらえ、どう表現しようとしたかを探るという企画です。
展示は、写真、模型、図面、映像で構成されています。
当時の手描きの図面の美しさに改めて感動。
塔の家(東孝光)では、原寸大に拡大した平面図が床に敷かれ、都市に住むことを選んだ決意を再認識。
スカイハウス(菊竹清訓)、中銀カプセルタワー(黒川紀章)では、メタボリズムは何だったのかを暫し、、、
・カーンのサーブドスペースとサーバントスペースの概念との共通点。
・新陳代謝、取り換えられるものと、取り換えられないものとに分けることだけでは、何も起こらなかった。取り換えられないものって何?
・建築に寿命があるなんて思いもよらないヨーロッパ人と違い、日本人にはスラップアンドビルドにしか繋がらなかった。
白井晟一は、やっぱりどう理解してよいのか?
下の写真は、埼玉県立美術館の建つ北浦和公園の端っこに置いてあるカプセル。
カプセルタワー1階にモデルルームとして展示してあったもので、中銀から県立美術館に寄贈されたとのこと。
オープンリールデッキがビルトインされている!オプションだよね?