普段着の思い、いろいろと
カテゴリー「街歩き、建築体験」の記事一覧
- 2025.04.04 [PR]
- 2015.01.28 建築見学
- 2014.09.09 NPO埼玉・住まいの会 研修旅行<群馬~長野>
- 2014.04.20 開東閣で見学昼食会
- 2013.12.14 山形研修旅行 番外編2
- 2013.12.14 山形研修旅行 番外編1
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知り合いのゼネコンの現場所長さんの計らいで、某N設計の設計監理の某本社ビルを見学させてもらいました。
たぶん延床面積2000㎡もない事務所ビルです。所長さんの説明(苦労話)によると、壁クロスが30種類、床仕上材も30種類、すべて輸入品。設計者曰く、オリジナルデザインのこだわりとのこと。
なんじゃそれ!
ミースを思い出します。ミースはデザインという言葉を嫌いました。「デザインではなくソリューションでなければならない。問題が同じなら解答は同じでよい、否、同じであるべきなのだ。」
この設計者にとっての問題は何なんだろう。
見学させていただいたのにすみません。
そういえば、建築士会連合会賞優秀賞「ホキ美術館」の石山修武さんの選評が笑えます。
http://www.kenchikushikai.or.jp/data/rengokai-sho/2013/01.pdf
たぶん延床面積2000㎡もない事務所ビルです。所長さんの説明(苦労話)によると、壁クロスが30種類、床仕上材も30種類、すべて輸入品。設計者曰く、オリジナルデザインのこだわりとのこと。
なんじゃそれ!
ミースを思い出します。ミースはデザインという言葉を嫌いました。「デザインではなくソリューションでなければならない。問題が同じなら解答は同じでよい、否、同じであるべきなのだ。」
この設計者にとっての問題は何なんだろう。
見学させていただいたのにすみません。
そういえば、建築士会連合会賞優秀賞「ホキ美術館」の石山修武さんの選評が笑えます。
http://www.kenchikushikai.or.jp/data/rengokai-sho/2013/01.pdf
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9月7~8日、NPO・埼玉住まいの会の研修旅行で、群馬、長野に行ってきました。
1日目、上州小幡(甘楽町)~松井田町~軽井沢~海野宿~信州上田あずまや高原ホテル泊。
上州小幡の武家屋敷&楽山園からスタートです。
楽山園は江戸時代初期に織田氏によって造られた庭園。建築物は平成12年国指定名勝になってからの復元のため、綺麗すぎてテーマパークにいるみたい。いったん壊された文化財の復元の難しさを考えさせられます。近代建築の保存も手遅れにならないうちに!
旧松井田町役場(設計:白井晟一)
今は松井田町文化財資料室ということらしいが、倉庫?
docomomo Japan に選定されていますが、保存されているとは言い難い状況。
軽井沢千住博美術館(設計:西沢立衛)
館長さんに話を聞くことができました。 外周ガラス面を覆うレースのスクリーンは、外からのタダ観対策。冬は結露水が滝のように流れ、これもアートかと訊かれるとのこと。笑えない。
(内部は撮影禁止なので、自動ドアの隙間からこそっと)
美術館付属施設のショップ(設計:安井秀夫アトリエ)
海野宿(重要伝統的建造物群保存地区)
かつての北国街道の宿駅。まだ観光地化がすすんでなくて静か(^o^)

1日目、上州小幡(甘楽町)~松井田町~軽井沢~海野宿~信州上田あずまや高原ホテル泊。
上州小幡の武家屋敷&楽山園からスタートです。
楽山園は江戸時代初期に織田氏によって造られた庭園。建築物は平成12年国指定名勝になってからの復元のため、綺麗すぎてテーマパークにいるみたい。いったん壊された文化財の復元の難しさを考えさせられます。近代建築の保存も手遅れにならないうちに!
旧松井田町役場(設計:白井晟一)
今は松井田町文化財資料室ということらしいが、倉庫?
docomomo Japan に選定されていますが、保存されているとは言い難い状況。
軽井沢千住博美術館(設計:西沢立衛)
館長さんに話を聞くことができました。 外周ガラス面を覆うレースのスクリーンは、外からのタダ観対策。冬は結露水が滝のように流れ、これもアートかと訊かれるとのこと。笑えない。
(内部は撮影禁止なので、自動ドアの隙間からこそっと)
美術館付属施設のショップ(設計:安井秀夫アトリエ)
海野宿(重要伝統的建造物群保存地区)
かつての北国街道の宿駅。まだ観光地化がすすんでなくて静か(^o^)
4月12日 開東閣にて、高校同期の友人が企画してくれた見学昼食会。
開東閣は港区高輪にある旧岩崎家高輪別邸で、明治41年完成、昭和39年復旧、現在は三菱グループの迎賓施設。
昭和20年空襲で外壁の一部を残してほぼ消失、39年の復旧では外観の原形は残したが、内部については住まいからの用途変更もあり当時の姿をとどめてはいないよう。ビニールクロスの不燃認定シールを見つけてしまうのは悲しい性か。
以下、建築家ジョサイア・コンドルについて、藤森照信さんの言葉から、
「彼らは国家と時代を建築で飾るのが自分たちの任務と覚悟していた」
つまり、パトロンである明治国家のための記念碑性が求められ、個性や創造性といったものは二の次であったと思われます。
また、24才の若さで異国からやってきたコンドルにとって、いったい何を参照してよいかも分らなかったとも想像できます。ヨーロッパのいろんな様式がばらばらと見うけられるのも仕方ないか、、、
高輪の一等地に道路から建物が見えない広大な敷地(11,200坪らしい)、まずは緑を残してもらっていることに感謝。